変面(へんめん)とは

変面

読み方:へんめん

変面とは、

変面師が手や扇子を顔にかざした瞬間、瞼譜(お面)が次々と変わっていきます。どのような仕組みで、お面を変えているのかは、「秘伝」とされています。

日本でもパフォーマンスとして知られてきた変面。
そんな変面には長くて深い歴史があります。
今回は変面の来歴を、当社代表が見聞きした話や文献の情報をまとめました。
由緒ある変面を日本のみなさまに知っていただけましたら幸いでございます。

変面は、観客を魅了し、みなを不思議な気持ちにさせるパフォーマンスです。


▲当社提携変面師の江氏

 

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変面の詳細な歴史

概要

時 期 内 容
 明朝時代末~清朝半ば  陝西、山東、湖南、湖北、江蘇からの移民によって「川劇」の元が伝わり、各地の特色を融合して確立。
  1900年代半ば  観客の嗜好の変化・減少、演出機会や劇場の縮小などのため、伝存続の危機に直面。
 2005年  国務院を文化遺産保護案が通過。
 2006年  四川省川劇学院が国内で初めての国家クラス文化遺産として『首級中国国家级非物质文化遺産』に認定される。
 昨今  中国内外からの観光客で賑わいを見せる。

川劇の中で演じられた「変面」

四川省の位置
中国四川省

川劇とは中国四川省の伝統芸能。中国の八大地方劇(京劇、評劇など)の1つ。川劇は末朝末(約400年前)以後「戯劇」と総称される「戯曲」に属する。「戯劇」とは文学、音楽、舞踏、美術、武術、雑技全てが組み込まれたこれらの総合芸術である。

明の時代末期から清の時代初期にかけて、中国各地から四川省に移民がなだれこんである。移民の文化を反映する会館の建設と落成により、各地から集まってきた演劇や民謡が四川省成都という大舞台で一斉に演じられるようになった。この一大共演の中で次第に四川省の地元方言、民俗、民間演劇、曲芸、民謡などが融合し、最後には四川省独特の節回しの文化として完成した。結果、このような文化の融合は川劇の育成と発展に大きな役割を果たしたと言える。
こうした演技者同士の創意工夫と努力によって、より多くの観客に受けいれられ、人気になった、まさに「庶民の伝統芸能」である。 そして、数多くの伝統的な演目が受け継がれ、中国の伝統芸能において最も貴重であると認知され、国宝とも呼ばれている。

その川劇の中で、変臉(日本語の発音上、変面と呼ばれる)という、臉譜(お面)を息つく間もなく次々と変える技巧が行われていた。

 

変面の誕生

「変面」が演じられるきっかけとなったのは、以下の2つの「川劇」のストーリーを演じる際の演出技術として利用されたためである。変面が行われるようになったのは、以下のストーリーを表現するためだ。

【ストーリー1】この話は、中国の北斉時代にさかのぼる。

北斉時代、勇敢で男らしさに勝る戦士、蘭陵王がいた。しかし、彼の顔は女性的であった。そのため、戦場で戦う際、対峙する敵に軽蔑された。
そのために、毎回対峙の時に彼は恐ろしい木の仮面を付けることを余儀なくされた。
これを演じる際、ただの仮面では面白さに欠ける、ということで、仮面の色が変わる、という演出技術が発明された。

 

【ストーリー2】『帰正楼(別名:三変化身)』の主人公貝戎は、有名な盗賊で、いつも金持ちから金品を盗んで貧民に分け与えた。

そんな彼はお面をつけていた。そのため、貝戎の顔を知る者はなく、捕まることもなかった。
川劇の中で、1830年代、当初の「帰正楼」には、貝戎の演者(たとえば、康子林)が数枚の硬い紙で作られたお面をかぶり、顔を変えていく演出を行った。後に、顔の変化をより自然に見せる為に、貝戎役の曹俊臣(1882年―1946年)が丈夫な紙に数枚の違う顔を書き、顔に重ねて貼り、出演中,煙や扇子などで覆い隠して、顔を剥がして、パフォーマンスをした。

 

変面の進化

康子林(公元1870年-1930年)は、前述の曹俊臣のやり方からヒントをもらい、中国の演芸の「のぞきからくり」(多数の絵を木箱の中で次々に取り替え、凸レンズを隔てて観客に見せるもの。初期には西洋の絵を見せていた。)のやり方も参考にし、自分の長年の俳優経験と結びつけ、丈夫な紙で数枚のお面の形に切り、その上に違う臉譜を描き、顔に重ねて貼り、煙や扇子などの遮蔽物を使わず、一瞬で変面する神技を作り上げた。

この神技で、川劇のブームを起こした。康子林が出演するたびに、チケットは即完売した。チケットの価格は1.5元(時価、お米20キロに相当)だった。

康子林は川劇の“康聖人”と呼ばれた。

その後、変面は『白蛇伝』の『水漫金山』『断橋』などの様々な劇に使われ、「川劇」の人気を一気に上げた。この神技は秘密になり、自分の劇団の関係ある出演者にしか伝えなかった。周恩来や鄧小平が、この「変面」の神技を絶賛した。

変面の技術の発展

誕生時の変面は、今日のように複雑なものではなかった。また、主なやり方は、拭、揉、抹、吹、画、戴、撇、扯の8種類がある。

変面の歴史から見て重要な五種類を紹介する。

① お面を変える
事前に木、ゴム、硬い紙、厚い布などのお面を制作し、演劇中、役者はお面を変えて、人物の気持ちの変化を表す。早変わりなどはなかった。

② 運気変臉(気の面) 
役者が気功を使い、顔に血液を集め、顔の色を変化させる。亡き川劇の名優・彭泗洪が『空城計』の諸葛孔明を演じた際に使用された。諸葛亮は司馬懿が撤兵したのを聞くと、感慨無量になる。責任を果たし、半分ほっとする反面、今後のことを心配する複雑な気持ちを表す為、気功を使い、顔を赤から白に変化させ、最後に緑に変化させる。この技術は他に『殺犬』、『借趙雲』、『青梅贈釵』などの川劇に使用された。

③ 抹臉(塗り面)
白や黒の化粧用油を事前に手、又は顔のおでこや、鼻などに多く塗り、演劇中、必要に応じて、素早く手で顔にその油を塗り拡げることで、顔の色を一瞬で変える。
『東窓事犯』の悪人の秦檜が英雄の岳飛を陥れた後、岳飛の霊を見て、驚いて倒れた瞬間に、抹臉の技巧を使い、顔を真っ黒にする。
その他には『放斐』の斐禹、『白蛇伝』の許仙、『鬧斉廷』の昭が抹臉を利用する。

④ 吹臉(吹き面)  
事前にパウダー状の化粧品(粉、銀粉、墨粉など)を容器に入れ、舞台そでに置き、ストーリーに応じ必要な時に、顔をその容器に近づけ、目をつぶり、パウダーに息を吹きつけ、パウダーが顔に塗りつける。
『活捉石懐玉』の石懐玉が戦場で最高司令官の穎考叔を暗殺し、戦勝の祝賀の儀で、心に疚しさを感じたのを表現するために、顔を瞬時に真っ黒にする。
その他には、『治中山』の羊楽子も吹臉を使用する。

⑤ 扯臉(引き面) 
最も高度な技で、そのタネは今も門外不出の秘伝。できる 人は少ない。
臉譜を変えることにより、人物の喜び、悲しみ、怒り、楽しみなどの心情を表現する。
このやり方はとても素早く、絶妙な技芸で、観衆を驚嘆させるが、動作は大変難しく、役者の数年の修業が必要。
『白蛇伝』の鈸童(紫金鐃鈸役)、『帰正楼』の盗賊貝戎、『望娘灘』の聂龍などが、扯臉を使用する。

変面は、無形文化財であるだけではなく、国家の財宝であり中華人民共和国の国宝に指定された。変面に潜められた技は、「秘伝」とされている。

 

本ページでの変面の紹介はこのくらいとします。
今後、ニュースページにおいて、随時、変面の詳しい紹、逸話などを紹介していきます。

 

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